銀閣寺に行ってきましたので、口コミします。
これから銀閣寺に行かれる方は参考にしてください!
銀閣寺の正式名称をご存知ですか?
銀閣寺とは通称での呼び名。
正式には、東山慈照寺と言います。
正式名…東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)と読みます。
知っているようで…知らなかった!
銀色に輝いてはいませんが…国宝です!
今回は、銀閣寺(東山慈照寺)と室町時代後期に栄えた、東山文化を、サクッと口コミで紹介します。
これから、修学旅行に行く学生さんは予習に…
かつて、修学旅行に行った(旧)学生さんは復習に…
楽しく、旅行気分で、読んで頂けたら…いいなぁ。
最近、国宝がお気に入りなので、今回も張り切って口コミしますよ~!(笑)
では、国宝、銀閣寺(東山慈照寺)に行ってみましょう!
銀閣寺である東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)についてや、イベント等の概要を説明しましょう!
銀閣寺の所在地
名称:東山慈照寺(ひがしやまじしょうじ)
住所:〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
電話:慈照寺(銀閣寺)寺務所:075-771-572
参拝時間(一般拝観)
境内拝観
年中無休
参拝時間
夏季 (3月1日~11月30日)8:30~17:00
冬季 (12月1日~2月末日)9:00~16:30
拝観料
高校生以上:500円
小・中学生:300円
東山慈照寺の春の特別拝観!
東山慈照寺の見どころの一つに、特別拝観があります!
銀閣寺は年に2回、春と秋に特別拝観があります。
普段は、なかなかお目にかかることが出来ない…国宝を見ることが出来る絶好のチャンスですね!
この次は、いつ拝観できるか…
何せ、大昔のお宝だから…機会があれば是非、見ておきたいものです。
なので、力いっぱい口コミしれおきます!
今回の特別拝観
本堂
・ご本尊の釈迦牟尼仏を安置
・与謝蕪村・池大雅の襖絵(複製)
国宝・東求堂(とうぐどう)
・持仏堂として阿弥陀如来像を安置
・足利義政公法体(像)を安置
・四畳半書院「同仁斎」(書院飾りの再現)
弄清亭(ろうせいてい)
・御香座敷(香座敷の本歌)
・奥田元宋の襖絵
特別参拝
〈前期〉令和2年3月20日(金)~4月12日(日)
〈後期〉令和2年4月24日(金)~5月6日(水)
特別拝観はガイドがご案内いたします。(自由に見学はできません)
※前期はコロナウィルスの影響で、中止になりました!(3/4公式HPより)
特別拝観時間
10:00/11:00/12:00/13:30/14:30/15:30
各回約20名(当日申込順)で閉め切ります。
所要時間は約30分です。
※案内中の写真撮影・録音録画は禁止です。
特別拝観料
お一人様 1,500円
特別拝観申し込み方法
本堂前に設置する「申込表」に名前を記入します。
(申込表は各回約1時間前に設置します)
記入後は、開始時間の10分前までに本堂前に集合します。
因みに…今回、秋に参拝したときにやってましたので、口コミしておきます!
こんな感じで、立て看板が出ています。
※2019年の秋は1,000円でしたけど…2020年の春は1,500円みたい…
公式サイトも、確認したけど、ここは要確認ですのでご注意あそばせ!
参考サイト:臨済宗相国寺派 銀閣寺公式サイト
東山慈照寺の詳細
正式名 | 東山慈照禪寺(ひがしやまじしょうじ) |
---|---|
山号 | 東山(とうざん) |
宗旨 | 禅宗(ぜんしゅう) |
宗派 | 臨済宗相国寺派(りんざいしゅうそうこくじは) |
寺格 | 相国寺境外塔頭(そうこくじけいがいたっちゅ) |
本尊 | 釈迦如来(しゃかにょらい) |
創建年 | 1490年(延徳2年) |
創立者・開山 | 室町幕府8代将軍足利義政・夢窓疎石(むそうそうせき) |
別称 | 銀閣寺、銀閣 |
東山殿 | 東山山荘 |
東山慈照寺は、臨済宗相国寺派の寺院で、相国寺の境外(けいがい)塔頭(たっちゅう)の一つなんです。
参考サイト:ウィキペディ
つまり…臨済宗という、お釈迦様を崇めた宗教の相国寺(会社で言うところの本店)系列の境外の塔頭(支店)…ってわけですね!
因みに、境外(けいがい)って何かと言うと…お寺の敷地内の事を境内(けいだい)って言いますよね?
その逆です。本店系列の支店って意味だと思って下さい。(笑)
って、ことは…他にも塔頭(支店)があるってこと!
他の塔頭(支店)って…
はい!皆さんもご存じ、金閣寺です!
塔頭は他にもたくさんあります。
臨済宗相国寺についての口コミ!
京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺院です。
〈山内塔頭〉…大光明寺・林光院 ・般若林・玉龍院・普広院・慈雲院・慈照院・豊光寺
〈山外塔頭〉…鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・真如寺
〈相国寺出身の有名人〉…画僧の周文(雪舟のお師匠で山水画・花鳥画のほか仏像彫刻の匠)や雪舟(室町時代の画層…国宝・重要文化財の作品を世に生み、その多くは東京国立博物館などに展示されています!)は相国寺の出身です。
(へぇ~~!雪舟…そうだったんだ~!)
東山慈照寺(銀閣寺)のアクセス
東山慈照寺の最寄り駅は、車を利用しても10分以上かかります。
下の地図は、徒歩用の地図・バス停の地図・公共駐車場の地図です。
(おまけのコインパーキングの地図もね!)
銀閣寺(東山慈照寺)の場所の地図
バスを利用の場合
京都市バス『銀閣寺道』下車 徒歩約6分~徒歩約10分。
5系統 17系統 32系統 急100系統 急102系統 203系統 204系統 MN204系統
相国寺からのアクセス
京都市バス
『烏丸今出川』乗車、『銀閣寺道』下車
急102系統
京都市バス
『同志社前』乗車、『銀閣寺道』下車
203系統
金閣寺からのアクセス
京都市バス
『金閣寺道』乗車、『銀閣寺道』下車
急102系統 204系統
車を利用の場合
銀閣寺(東山慈照寺)には、駐車場がありません。
京都市銀閣寺観光駐車場を利用するか、近くのコインパーキングを利用して下さい。
【利用時間】
8:40~17:10
【収容台数】
バス12台・普通車40台
【お問い合わせ】
京都市銀閣寺観光駐車場 075-771-0783
乗用車 :1,040円
大型バス:2,610円
二輪車 : 410円
自転車 : 200円
※市営駐車場はバス・タクシー優先です。
繁忙期及び混雑が予想される時期は、マイカーの入庫を断られることがます。
詳しくは駐車場へ確認が必要です。
京都市銀閣寺観光駐車場の地図です。
おまけ!
一応、コインパーキングの地図も載せておきますので、ご利用ください。
因みに、私は…知恩院から哲学の道を通ってきましたよ!
せっかくなので…歩き回りました。知恩院も楽しかったです!
マジ、楽しい知恩院のページはこちらから!
なぜ東山慈照寺を銀閣寺って言うの?(金閣寺との比較)
まず、室町幕府3代将軍足利義満(よしみつ)が、北山山荘を建立しました。
後に義満没落、義満の法号・鹿苑院殿にちなんで、鹿苑寺(ろくおんじ)となります。
中でも、舎利殿と呼ばれる楼閣(2~3階立ての建物)には、外装にも内装にも金箔が張り付けられていたので、金閣(きんかく)と呼ばれるようになりました。
この舎利殿を含めた…寺院全体を金閣寺(きんかくじ)と呼ばれています。
そして、室町幕府8代将軍足利義政が、東山山荘(山荘東山殿)を建立し、この鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣が観音殿です。
観音殿も楼閣建築の建造物ですが、銀箔どころか…黒い漆塗りだったそうです。(笑)
キラキラした金閣寺に対して、真っ黒の銀閣寺…
それでも、舎利殿(金閣)は、室町時代前期の北山文化を代表する建築と庭園で人々を魅了。
観音殿(銀閣)は、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園でわび・さびを世に広めた…と、言っても過言ではないようです。
当時と言うより…江戸時代になってから、北山の金閣(きんかく)、東山の銀閣(ぎんかく)と呼ばれるようになりました…
金閣寺と比較して観音堂を銀閣(ぎんかく)と呼び、観音殿を含めた…寺院全体を銀閣寺(ぎんかくじ)として呼ぶようになったようです。
銀閣寺の歴史とあゆみ
今から、約550年前の室町時代の中期…1467年に応仁の乱が勃発…
(人世、虚しい…応仁の乱)受験の時に語呂合わせで覚えました!
その、応仁の乱と東山慈照寺は、切っても切れない関係があるんです。
1467年の応仁の乱をきっかけに、戦国時代に突入したと言われています。
(応仁の乱はこの年から約11年に及ぶ長い戦になりました。)
東山慈照寺の造営が始まったのが、1482年(文明14年)の事です。
完成まで、約8年の月日をかけて作り上げた東山山荘(東山殿)ですが…
この山荘の完成を待たずに、室町幕府8代将軍足利義政は、1490年1月に死去。
東山山荘(東山殿)が完成したのは、同年の2月ことでした。
義政を弔うために、寺号は義政の院号である慈照院殿にちなみ、東山山荘(東山殿)を臨済宗相国寺派大本山の相国寺の境外塔頭の一つとして、「慈照院」としました。
翌年には、「慈照院」改め「慈照寺」に改名しました。
東山慈照寺の誕生です!
でも…ちょっと待って!
鹿苑寺(金閣寺)や東山慈照寺(銀閣寺)を作ったのは足利家って、分かったけど…
そもそも、応仁の乱って、
足利家のお世継ぎ問題で起きた事件なんですが…
慈照寺と、なんの関係があるの?室町繋がり?
フフフ…東山慈照寺を調べていて、色々分かってきたのです!
しかも、室町幕府8代将軍足利義政…東山慈照寺の建立者である彼が、深~~く、関係しているってことも、明らかになりました!
そもそも…何故?東山殿を立てようと思ったのか?
東山殿になんの意味があるのか?
応仁の乱…
面白いですよ~!
えっ?
応仁の乱をご存じない?
【口コミ劇場】
応仁の乱のあらすじ…其の一
足利家の義政(よしまさ)と妻(富子)の間には、子供がいませんでした。
※ 義政=室町幕府8代将軍足利義政
彼は室町不動産の社長ですが、代々…続いてきた会社を自分の代で途絶えさせるわけにはいきませんでした。
※ 室町不動産=室町幕府
社員たちを路頭に迷わす訳に行かなかったのです。
※ 社員=庶民
そこで、後継者がいない義政は、弟の義視(よしみ)に社長の座を譲ることに決めました!
やれやれ…。
ところが…!
その直後、義政と富子の間に息子の義尚(よしひさ)が、誕生したから…
さぁ!大変!
富子は思いました…
「会社は、実子のヨシちゃん(義尚)に後を継がせたい…」
うん!うん!
分かる~!
母心だよね~
富子は悩みます…
「そうだわ!営業本部長に相談しましょう!」
富子は、営業本部長の山名宗全(やまなそうぜん)に協力を求めました。
※ 営業本部長=名武将…体育会系
一方、富子が動き出したことを知った、弟 義視は…
「兄さんが、頭を下げてお願いしてきたのに…今更、そんな…」
「そうだ!室長に協力をお願いしよう!」
義視は、室長の細川勝元(ほそかわかつもと)に協力を求めました。
※室長=名武将…理系
幼いころから、帝王学を学んできたと言え…もともと芸術家肌の義政は、早く社長を引退したくて、仕方なかったのです。
義政は閃きました!
「取りあえず、息子が成長するまで、弟に社長をお願いしよう!
成長してからヨシちゃんに譲れば、丸く収まるのでは?…」
やれやれ…。
ところが…!
ヨシちゃん押しで、会社の権力を操ろうとしていた営業本部長は…面白くなかった!
「なんだよ!義視が社長とか…あり得ない!義視に肩入れする室長も、目障りだ…大体、あの細川…生意気なんだよな。」
かつては、一緒に甲子園を目指す、同じ仲間だった2人ですが…
今では、犬猿の仲…この一件以来、事態は思わぬ方向に進むのです!
※ 甲子園=幕府の官僚として同僚だったという意味…です。
其の二に続く…
足利義政は、1451年(宝徳3年)勘合貿易を再開しました。
1401年(応永8)室町時代に当時の中国の明と、3代将軍足利義光が始めた、勘合(証明書のようなもの)を使った貿易です。
(義政からすると、義光は祖父だもんね!)
その時の貿易の品の中に、歴史的な美術品や芸術品も含まれていて、義政はその品々を寺院に置き、収集していたと言われています。
もちろん、国内の美術品や芸術品にも目がない義政は、画僧の周文や雪舟と言った芸術家にも、私財を投資していました。
(要は、お抱えの絵師!おおおお~~パトロンってヤツ?)
隠居後は、大好きな芸術品に囲まれて、静かに東山殿(後の慈照寺)で過ごしたかったのでは?
なので、どうしても東山殿が必要だったのではないでしょうか?
美的センスが良かったであろう義政ですが…その芸術性の感覚も、当時としては大いに人々の関心を引きました。
わび・さび です。
煌びやかな金閣寺…わび・さびの銀閣寺…と称されるようになりました。
あまりの見事な楼閣なので、人々からは「銀閣、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)合わせて京の三閣」と呼ばれました。
まさに東山文化の結集が慈照寺(銀閣寺)ってことなんですね?
近代になってからは…
1951年(昭和26年)6月9日 国宝に指定されています。
1952年(昭和27年)3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定されています。
1994年(平成6年)12月17日には「古都京都の文化財」として ユネスコ世界遺産に登録されています。
東山慈照寺を見学しよう!(境内図)
さぁ!
いよいよ、慈照寺の見学ですよ!
まず、東山慈照寺の境内図をご覧ください。
錦鏡池をぐるっと回れる池泉回遊式の庭園になっています。
回り易いように、なっていますので…その順番で回ろうと思います。
主な見どころの個所は全部で11ヶ所です。
1.総門
2.銀閣寺垣
3.中門
4.庫裡
5.観音殿(銀閣)
6.方丈(本堂)
7.東求堂
8.弄清亭
9.向月台
10.銀沙灘
11.錦鏡池、
順路に沿って、写真を交えて紹介しますね!
総門(そうもん)から銀閣寺垣(ぎんかくじがき)
先ほどの紹介の中で、「銀閣寺境内図」の左側に目を移すと、すぐに総門(そうもん)が見えます。
小さめの門です。
総門をを潜ると…見えてくるのが…
銀閣寺垣(ぎんかくじがき)です。
総門から中門までの約50mの小径で、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲われている参道です。
銀閣寺垣を歩く間に、気持ちが段々整っていく感じがしました!
中門は参拝するための受付で、ここで参拝料を払います。
中門を過ぎると、庫裏(くり)・大玄関(だいげんかん)が見えて来ます。
この日は混雑していて、正面からは取れませんでしたけど、庫裏・大玄関の一部と、前の銀沙灘(ぎんしゃだん)です。
庫裏(くり)とは、主にお寺の 住居 兼 台所 兼 事務所…の事を言います。
ここを過ぎると…あの国宝が見えて来ます!
国宝 観音殿(かんのんでん)…別称 銀閣(ぎんかく)
国宝 観音殿(銀閣)です。
キラキラ してないですけど…わび・さび だけは感じ取れます!
ちょっと…凄いです!
500年以上も前から、ここに佇んでいたと思うと…
鳥肌物ですよ!
観音殿の建築様式
観音殿は1489年(長享3年)に上棟しました。
錦鏡池(きんきょうち)の畔に東面して建つ、木造2階建ての楼閣建築です。
屋根は宝形造 杮葺きで、屋頂に銅製鳳凰が飾られているのが特徴です。
因みに、屋根は約30年ごとに葺き替えられています。
初層の広さは、下記の通りです。
東面 8.2m
西面 8.2m
北面 7.0m (勝手口が突出してるので、約1m長めです)
南面 5.9m
初層の東側には、落縁が設けられていて、軒も二軒(ふたのき)です。
東側が正面であることが分かりました。
初層は「心空殿」(しんくうでん)として、居住風の造りで、
上層は「潮音閣」(ちょうおんかく)として、禅宗様の仏堂風に造りました。
上層は創建当初、内外とも黒漆塗りで、軒下には彩色があったことが痕跡から明らかになりました。
また、銀閣は創建時の位置から移動していない可能性があるとの調査結果も公表されました。
上層の内部の造りは、1室のみで、観音菩薩坐像を安置し、四方に縁と高欄(手すりの様な物)をめぐらせています。
初層は東が正面となっていて、上層は桟唐戸(さんからと)のある南面が正面とされています。
桟唐戸(さんからと)とは…
障子戸の紙の部分が、薄い木の板になった様な扉をイメージして下さい。
寺院によく見られる扉です!
金閣寺の舎利殿(しゃりでん)や、西芳寺(さいほうじ)の瑠璃殿(るりでん)の伝統や方式を受け継ぎ…
現存する唯一の室町時代 楼閣庭園建築で、東山文化の代表建築となった銀閣寺の観音殿は、目に見えないキラキラで、いっぱいでした!
観音殿(銀閣)の横に…お社が! 八幡社(やはたしゃ)です。
東山慈照寺(銀閣寺)に来たら、ここもチェック!
方丈(ほうじょう)…本堂
方丈(ほうじょう)…本堂は実は、江戸時代に建築されました。
本堂には、御本尊の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ、釈迦如来の事です)が安置され、正面の額には「東山水上行(とうざんすいじょうこう)」と掲げられています。
本堂内部には与謝蕪村(よさぶそん)や、池大雅(いけのたいが)の襖絵が所蔵されています。
方丈から見る月待山(つきまちやま)は絶景スポット…です!(by 義政)
口コミポイント!
まず「与謝蕪村」vs「与謝野蕪村」…何が違うの?
答え:同一人物です!正確には…「よさ・ぶそん」が正しいのです!
何故?「の」を入れたの?…語呂がカッコイイからです。
次に!月待山って?何処?
答え:京都市左京区の北側の山裾にある山の事です。慈照寺(銀閣寺)の庭園のすぐ後ろにある、標高194mの小さな山です。
別名銀閣寺山とも呼ばれています。
…足利義政が歌を詠んでいます。
「わが庵は 月待山の麓にて 傾むく空の 影をしぞ思う」と…
国宝 東求堂(とうぐどう)
銀閣(観音殿)と同じく、室町時代に造営され、当時のまま現存する建造物…
国宝 東求堂(とうぐどう)です。
本来、東求堂は義政の持仏堂(じぶつどう)として、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
見ての通り…お堂と言うより、住宅建築に近い印象です。
東求堂の西側外面(写真の左側)、外壁の一部が床の間状に後退し、その部分が縁に面した腰掛になっているのが特徴です。
現在の東求堂は方丈の東側に建てられていますが、当時は銀閣寄り…現在「向月台」(こうげつだい)のあるあたりに建っていたと考えられています。
建物の大きさですが…
平面は東西南北の各面が6.9mの正方形です。
(三間半四方の大きさです)
南が正面で、内部は4部屋に分かれています。
参考サイト:wonder国宝・国指定文化財等データベース
口コミポイント!
1間=181.1㎝
1間の半分、半間=90.9㎝
半間の1/3、1尺=30.㎝
1尺の1/10、1寸=3.03㎝ (い、一寸法師!小さっ!)
東山慈照寺(銀閣寺)の歴史とあゆみでも、述べましたが、義政は東山殿が出来上がる前に、逝去しています。
でも、東山殿の上棟が始まった翌年には、すぐにここに、住みだしているんです!
よほど、隠居したかったんですね~!
一体…何があったんでしょう…
気になりますよね~!
…気になると、言えば…
応仁の乱の続きが、気になりませんか?(笑)
え?そうでもない?
【口コミ劇場】
応仁の乱のあらすじ…其の二
本社内で争う、山名宗全(やまなそうぜん)・細川勝元(ほそかわかつもと)…
一方、足利不動産の傘下の会社でも、不穏な動きが…
畠山建設では、次期社長をめぐり、義兄弟の義就(よしつぐ)と政長(まさなが)の家督騒動が…絶賛、勃発中!
※畠山建設=守護大名、室町幕府の三管領家の1つの畠山家。
水面下では、山名営業本部長が、畠山建設の敏腕専務の畠山義就(はたけやまよしつぐ)に…
「君も、俺と一緒に組んで、トップに立とうぜ!…ここは、一つお互いに協力しないか?」と味方につけ、
大内建設のCEO、大内正弘(おおうちまさひろ)をも、引き込んだ!
※敏腕専務=長政とは異母兄弟、家督相続の張本人であり、どうしても、家督を継ぎたいが、長政には勝てない。
※CEO=守護大名。大内氏第14代当主
大内建設とは、足利不動産の傘下の会社で、今の鳥取・広島・山口・福岡・大分にまたがる、広大な領地を所有する、大企業建設会社である。
※大内建設=守護大名、西日本の強大な勢力の一つ。
方や、細川室長は、畠山建設の副社長の畠山政長(はたけやままさなが)に…
「会社は、継ぐべき者が、継ぐべきだ!君もそうは思わないかい?私と手を組もう!」などと言い
義政と義視兄弟に…
「社長!…足利家の問題は、足利家がまとめないと!奥様の実家の日野財閥に、口出しさせて…いいんですか?」
などと…政長を味方につけ、社長の義政と義視をも、言葉巧みに仲間に、引き込んだ。
※副社長=実力・立場的に、政長(まさなが)が後継者だが、義就(よしつぐ)がライバル視して…大変なんです!
しつこくて…何とかして下さい。(汗)
よって、このような構図が出来上がりました。
(西軍)……山名宗全(SD)・畠山義就・大内正弘
VS
(東軍)……細川勝元(SD)・畠山政長・足利義政・足利義視(TSD)
※SD=総大将 TSD:特別総大将
さて!両者 互角の戦いか…!
と、思われたその時!
何と!とんでもない出来事が…
よりにもよって……ビビった義視が、伊勢に逃亡!(よしみ~~!)
それだけでも、新聞・雑誌の一面を賑わせる大事件だというのに…
こともあろうに………帰って来て、戻った先が………
西、西軍?(あんた!東軍の総大将でしょう~~?)
そんな、こんなで、始まった応仁の乱ですが、
お家騒動が重なったことや、地方に応援要請をしたことなどが原因で、全国規模になってしまいました。
もちろん、お偉いさんの目など、届くわけがありません!
本社に問い合わせた所で、「今は、手が回らないから!そっちで、適当に契約とって!」
「あっ!もし、ライバル店を、叩き潰したら…勝手にうちの支店にしてもいいよ!」
※本社=室町幕府、契約:合戦、支店:領地没収
こんなやり取りが、全国に広がって、戦国時代のなってしまったんですね。
グダグダの、応仁の乱の幕開けでしたが…
この後に事態は大きく動くのです!
其の三に続く…
観音殿(銀閣)と錦鏡池は、当時のままだから…ロマンが広がります!
方丈(本堂)から東求堂に向かう途中、渡り廊下を北側に進むと…
弄清亭(ろうせいてい)が、あります。
ここは、義政がお香を楽しんだと、言われる奥座敷です。
襖絵は、与謝蕪村の「棕櫚に叭叭鳥図」(しゅろにははちょうず)などが有名です。
向月台(こうげつだい)と銀遮断(ぎんしゃだん)
庭園の中央より、少しだけ銀閣寄りにある…富士山のような、砂盛り。
向月台(こうげつだい)と言います。
ここに座って、月待山に上る月を観賞する為に作られたという説!
義政も、歌を詠むほど…でも、向月台が作られたのは、江戸時代になってからです。
高さは約180㎝…どうやって、ここに上るのかが…最大の謎!
こちらは、波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)です。
高さは、約65㎝前後です。
月明かりが反射して、本堂を照らすとも言われています。
銀閣寺の庭園は、庭師の方々が、毎日手入れをしているんです。
(毎朝6時!お疲れ様です!)
観音殿(銀閣)と向月台と銀沙灘のコラボレーション!
…画になりますよね?
順路が、この銀沙灘をぐるりと回る道順になってます。
回る間中…銀沙灘を色んな角度から、見ることが出来ます。
こんな角度からの、銀沙灘はいかがでしょうか?
錦鏡池(きんきょうち)…池泉回遊式庭園
池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)です。
錦鏡池(きんきょうち)を中心とした池泉回遊式庭園は、特別史跡・特別名勝に指定されています。
「苔寺」の愛称で知られる西芳寺(さいほうじ)庭園(夢窓疎石〈むそうそせき〉作庭)を模して造られたと言われています。
口コミしたいです!
西芳寺は、国宝 天龍寺の境外塔頭の寺院だったんです!……が、
今は、独立して単独寺院です。
西芳寺の庭園には、約120種類の苔が生えているそうですよ!
一度、見てみたいものです!
そう!そう!
国宝 天龍寺は、行きましたので…良かったら、こちらも見てね!
楽しい天龍寺の情報はこちら!
錦鏡池は、観音堂や方丈(本堂)の目の前に広がって、その水面に映して…約500年も前から、同じ景色なのでしょうか…?
ロマンが止まりません!
実を言うと、こちらの庭園は、江戸時代に改修されていて、創建当時の姿ではないそうなんです。
それでも!300年以上も前の事…
やっぱり、ロマンが止まりません!
手入れの行き届いた美しい庭ですね。
派手でなく、静かで…凛としていて…
これが、銀閣寺の……わび・さび?なのかなぁ?
ぐるっと、回ると…観音堂が、違った角度から見ることが出来ます。
洗月泉(せんげつせん)
錦鏡池を回遊していると、丁度 南東端に着くところに、一筋に落ちる小さな滝があります。
洗月泉(せんげつせん)です。
山部山畔から水を引き、錦鏡池に流れていきます。
ここで、なぜか気になる光景を、目にするのですが…
何で?お賽銭?…しかも、かなりの金額になりそう!
日本人って、なんで…こう、水を見るとお賽銭とか、投げたくなるんでしょうね?(笑)……!あっ!トレビの泉もそうだった!(イタリア・ローマ)
銀閣寺の展望台へ(お茶の井・漱蘚亭跡・苔の庭園)
さぁ!
銀閣寺の庭園を見て回りました。
次は、展望台に行ってみましょう!
紅葉の銀閣寺も、いいですよね~!
写真で、どんどん 紹介しちゃうよ!
展望台への道が、激混みでした。(汗)
狭い通路なのに…人が、多いので、秋の京都は大人気です!
途中…こんな看板が!
お茶の井(おちゃのい)です。
義政公が、ここの湧き水で、お茶を立ててたんですね。
ここの湧き水は、建立当初のままのようです。
しかも、今もなお…特別なお茶会などで、ここの湧き水を使用しているそうです。
続いて、漱蘚亭跡(そうせんていあと)です!
漱蘚亭跡(そうせんていあと)付近では、崩れかかったような珍しい石組みが、そこかしこに、見られます。
この枯山水庭園は、1931年(昭和6年)に発掘されたもので、室町時代のそのまま姿で保存・展示されています。
漱蘚亭跡(そうせんていあと)の傍にあった、こちらは…なんでしょうか…?
そして、この風景…!
苔が、なんとも言えない幻想的な景色を醸し出しています。
展望台に行く途中に、こんな景色が沢山見られました。
苔寺を模したと言われていますが、真似をしたって…見事ですよね?
そろそろ、展望台に着きそうですよ。
どんな景色が見られるのか楽しみです!
展望台から見た…銀閣寺!
ジャーン!
なかなか…の絶景です!
手前右から…東求堂(国宝)、方丈(本堂)、庫裏殿、
中央…銀沙灘
左側…観音殿(国宝)
展望台から、全体が全~部、見えるんです!
京都市街も、銀閣寺も一望です!
更に言えば、奥の京都の街並みの中に、ポツンと浮かぶ…室町島?(笑)
紅葉も綺麗で、何よりです!
ホントに来て良かった~!
雪舟がこの景色を見たら…水墨画になるのかしら?
さて、展望台からの景色を堪能しました!
最後のルートです。
下山途中もこの景色!
わび・さび…こちらも堪能しました!
順路の通りに、進むと観音殿の裏手に出ます。
観音殿のまた、違った顔を見た感じです!
観音殿の鳳凰です。
なかなか近くで見ることって、ないですよね。
この先に、売店・お茶処・トイレがあります。
竹垣の仕切りで、お茶処と区切ってます。
なかなかの、演出です!
これなら、外国人観光客に大人気になりますね!
銀閣寺の参拝も終盤を迎えいます。
ここの売店を過ぎると、銀閣寺の楽しかった旅(大げさな…)も終わりです。
銀閣寺の着いたのが、15時少し前でした。
売店にたどり着いたのが…15時30分過ぎなので、銀閣寺に滞在していたのは ざっと、40分程。少々、混雑していたのもありますが…
建物の中まで参拝していたら、約60分くらいの所要時間が必要です。
1時間もあれば、室町時代にタイムスリップ出来るんですね!
そう!ちゃんと、予習をしてから行くと…タイムスリップ出来ちゃうんです!
当時の人物像とか、時代背景とか…室町時代・戦国時代…
もしかして、気になってます?
あの、あらすじ!
え?…そうでもない?
【口コミ劇場】応仁の乱のあらすじ…其の三
こんなカオスな状況の中、始めの内こそ…筆頭株主(天皇)や超得意先(公家)等々…に気を使って避難を促したりしていました。
しかし、蓋を開けてみれば、全国から応援の応援が、京都に集結して…
訳が分からない状態に…
都の中心部はもちろん少し地方に行っても…どこに行っても、戦!戦!戦!
これじゃ、まさに 戦祭り!全国春の戦祭!サマーikusaセール!…
気が付けば、京の都は…焼野原になってしまいました。
そして、1474年の事です!
弟の裏切りにより、義政は社長引退を表明!
息子のヨシちゃんこと義尚に、正式に社長の座を譲ることにしました。
※(室町幕府9代将軍 足利義尚 の誕生です。)
この年には、なんと!
営業本部長の山名宗全(やまなそうぜん)
室長の細川勝元(ほそかわかつもと)
この二人が、相次いで病死してしまったのです!
この事態を収拾しようと、山名政豊(山名の後継者)と細川政元(細川の後継者)の両名が和解に乗り出したのです!(パチパチパチパチ)
が、しかし…それも、面白くないのが…
大内建設CEO大内正弘と畠山建設の敏腕専務 畠山義就。
もう、溜息しか出ません(汗)
そこで、終戦の女神さまが降臨するのです……………!
義政の妻で、日野財閥のお嬢様、ヨシちゃんのママの…
日野富子です!
息子のヨシちゃんが、無事に社長就任したし、こんな無駄な戦祭りにうんざりしていた富子が、動き出したのです!
富子はまず、大内CEOに…
「ヨシちゃんを押してくれてありがとう!山陰地方から、沢山の応援部隊を自腹で…大変だったでしょう?ヨシちゃんが社長になったので、うちの会社の役職を用意したから!地元の皆さんに、宜しくね!」
と、金と地位の手土産を持たせて、地元に帰しました。
次に、富子は、敏腕専務の畠山に…
「ちょっと、あなた!いつまで京にいるつもり?あなたの会社の事に、口出しする気はないけど…ここにいても、しょうがないでしょう!
あなたの敵は、なんでも…河内国(大阪方面)にいるらしいわよ!行ってみたら?」
などと、言ったとか、言わないとか…
畠山は、宿敵 政長を追って、京を去りました。
そして…京都から人が、誰もいなくなったのです。
こうして、1478年に約30万人を動員したとされる「応仁の乱」が、11年と言う歳月を経て、終結するのです。
「応仁の乱」が、終わり…息子に後を継がせて…義政が一番したかった事。
別荘を建てて、静かに、わび・さび…隠居生活!
そうです!
東山山荘(東山殿)、後の東山慈照寺…別称 銀閣寺に…
引きこもる事!だったのではないでしょうか?
〈お断り〉この記事は、様々な文献を読んで、私なりの独断と偏見を織り交ぜながら、所々にフィクションも混ざっていたり、誇張した表現も含まれています。ので、悪しからず!(by shinobu)
参考資料:図書館の本・学校の教科書・友達の歴史のノート
銀閣寺のまとめ
いかがでしたか…銀閣寺の旅は?
所要時間 約1時間で回れて、春は桜、秋は紅葉!
見どころ満載の、京都の旅。
止められません~~!
実を言いますと、銀閣寺に来るのは、二回目なんです!
勿論、最初に来たときは、修学旅行です。
勿論の勿論!覚えてませんよ~~!
でも、大人になって来てみると…見方が違いますね!
しかも、予習をしてから見に行くと、まるで違った見え方がして感動です。
わび・さびって、要は、渋くて・カッコイイって、よく分かりました!
そして、「応仁の乱」のくだり…私は気に入っているのですが…(笑)
どうでしたか…分かり易かったでしょうか?
正直、文献だけを読んでも、登場人物の名前を覚えるのに、半年はかかります。
分かり易い専門のサイトもあります。
でも、解釈は、人それぞれあっていいと思うのですが…
「応仁の乱」の話が、あまりにも面白いので、調子に乗って…あらすじってみちゃいました。(笑)
だけど、ちゃんと最後は、綺麗にまとめたでしょう?(座布団…何枚?)
さて、今回の銀閣寺は、ここまでです。
参考になりましたか?
以上、shinobu リポートでした!
参考サイト:ウィキペディ・銀閣寺公式サイト・金閣寺公式サイト