知恩院って見る価値あるのでしょうか?
ここでは、知恩院の歴史や魅力を紹介したくて口コミしたいと思います!
知恩院は 浄土宗総本山の寺院です。
ご本尊は法然上人像や阿弥陀如来が祀られています。
こちらの知恩院は、多くの国宝や重要文化財があるんです。
八坂神社と円山公園に隣接している知恩院ですが…
境内の中も、とても広くて素敵な場所でしたよ。
秋の京都は…紅葉が始まったところでしたので…幻想的でした!
でも…煌びやかな八坂神社とは違い
知恩院は重厚感があり、厳粛な感じがしました!
知恩院は空気が凛としていて、身が引き締まる思いがして
ある意味、新鮮でした。
そんな、歴史と格式の知恩院を口コミしたいと思います。
知恩院の所在地と問い合わせ
浄土宗総本山知恩院が、何処にあるのか見てみましょう!
知恩院 所在地
住所 | 〒605-8686 京都府京都市東山区 新橋通 大和大路 東入る 三丁目 林下町(りんかちょう)400 |
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問い合わせ(代) 問い合わせ(mail) |
075-531-2111(代) https://www.chion-in.or.jp/contact/form.php |
拝観 | 無料 (方丈庭園と友禅苑は各庭園拝観料が必要です) |
開閉門時間 | 午前6時から午後4時(各種受付時間午前9時~) 年間開門時間はこちらから (閉門時間はいずれも午後4時です。) |
京都市指定文化財 | 名勝 知恩院方丈庭園 1990年(平成2年)4月2日指定 |
浄土宗総本山 知恩院(概要)
知恩院のどんな寺院でしょうか?
浄土宗総本山 知恩院
正式名称 | 華頂山知恩教院大谷寺 (かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら) |
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山号 | 華頂山(かちょうざん) |
宗派・寺格 | 浄土宗・総本山 |
御本尊 | 法然上人像 及び阿弥陀如来 |
創設者 | 法然 |
国宝 | ・本堂 ・三門 ・紙本著色法然上人絵伝48巻 ・絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図 |
重要文化財 (建造物) |
・大方丈(玄関及び歩廊) ・小方丈(歩廊) ・集會堂(玄関) ・大庫裏(歩廊及び玄関) ・小庫裏(歩廊) ・唐門 ・大鐘楼 ・経蔵 ・勢至堂 |
美術工芸品…綾本著色毘沙門天像・絹本著色阿弥陀経曼荼羅図
等々…他30点余りが重要文化財として認定されています。
知恩院の場所(アクセス)
どうやって、知恩院に行けばいいのでしょうか?
まずは場所ですね?
電車を利用の場合
◆京阪祇園四条駅 徒歩で約10分(800m)本殿までの距離
◆阪急河原町駅 徒歩で約18分(1,050m)本殿までの距離
バスを利用の場合
◆市バス(四条河原町駅) 31・46・201・203号系統
知恩院前 下車 徒歩約5分
◆市バス (三条駅) 京都岡崎ループ 知恩院三門前 下車
停留所下車 すぐ
◆市バス(三条駅) 12系統 知恩院前 下車 徒歩約5分
車を利用の場合
知恩院では、元祖法然上人800年大遠忌記念事業の一環として、令和2年春まで国宝・御影堂の大修理を行っています。
駐車場が十分に確保できませんので 乗用車でのご来山をお控えいただき、公共交通機関でのお越しをお願いしています。
(by:知恩院)
ご回向、ご納骨、お墓参り等で知恩院に御用があり、やむなく車を利用の方は、総本山知恩院新門南駐車場をご利用ください。
総本山知恩院新門南駐車場のご案内
(to:知恩院)
それでも、駐車場がない場合の為に付近の有料駐車場のマップを貼っておきますので、活用して下さい。
(愛をこめて:shinobu)
知恩院の歴史
時は、平安時代!平清盛が歴史の教科書で大活躍をしている真っ只中
知恩院の宗祖法然上人は誕生しました。
どんな人生を送ったのか、見ていきましょう!
ここからは、ウィキペディ先生にご指導頂き!ウィキペディ先生の参考書をむさぼるように読み漁り…渾身の力で、まとめてみました!
① 知恩院は、浄土宗の宗祖の法然が現在の知恩院勢至堂(左京区)に草庵を開いたことが起源です。
② 法然は1133年(長承2年)に美作の国(現在の岡山県)に生まれ、13歳で比叡山(左京区と滋賀県の県境の山)に行くと、15歳で源光(比叡山の学僧)の元で出家します。
③ 18歳には叡空(比叡山一の学僧)に弟子入りし、師匠2人の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名しました。
④ 1175年(承安5年)43歳になった法然は、高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りました。
皆さんも、一度は口に出して呟いた事…ありませんか?
「南無阿弥陀仏…」口に出さないまでも、ご存じですよね?
しかも、老若男女問わず、身分の高い低い関係なく受け入れる浄土宗…大丈夫?
って思いますけど(汗)
そもそも、念仏って?
お答えしましょう!
専修念仏…(せんじゅねんぶつ)
専ら念仏のみを修し、他の行を修めないこと。
浄土へ往生するために、他の行をまじえず、ただひたすら称名念仏を修すること。
参考資料:wikiarc
称名念仏…(しょうみょうねんぶつ)
浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。
⑤ 誰でも「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽往生できるとあっては…他の宗教や身分の高い層の人々、幕府は黙っているはずがありません。
勿論、法然は讃岐国(現在の香川県)に流刑に処せられました。1207年(建永2年)の事でした。
⑥ 4年後の1211年(建暦元年)に都に戻りましたが、翌年80歳で永眠しました。
⑦ 法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、ここに法然の廟が造られ、弟子が守っていたが、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまいました。(嘉禄の法難1227年嘉禄3年)
⑧ 1234年(文暦元年)には、法然の弟子の勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜れました。
⑨ 1431年(永享3年)に火災にあって焼失したり、1467年(応仁元年)に応仁の乱があり、その際は、法然御影や仏像、宝物類を付近にあった庵に避難させ難を逃れました。
⑩ 1478年(文明10年)に知恩院を再興するも、1517年(永正14年)にも消失することになりました。
⑪ 1523年(大永3年)には鎮西義で第一の座次となり本山となりました。
⑫ 1575年(天正3年)には正親町天皇より浄土宗本寺としての承認を受け、諸国の浄土宗僧侶への香衣付与・剥奪の権限を与えられました。
⑬ 江戸時代に入ると、三門や本堂などが建設されて、徳川家康により寺院は拡大し造営していきました。
⑭ 1633年(寛永10年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、1641年(寛永18年)までにほぼ完成していました。
口コミポイント!
何故?ここまで徳川家が、知恩院に肩入れするのかと言うと…
元々浄土宗徒であることや知恩院25世(会社で言う、会長?)が松平氏第5代(将軍家の親戚)松平長親の弟であること等、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったと言う説もあります。
…ですよね?
まず、徳川自体、元々地方の大名でしたから…
浄土宗の考え方は、肌に合ったのではないでしょうか?
そして、宗教も味方にすることで、国民の心を鷲掴み!
東の江戸を制して、西の京都も制すれば…日本を統一したも同然!って、後に統一するんですけどね(汗)
独断と偏見で意見を口コミしてみました!(笑)
⑮分派、合流、分派を繰り返していた知恩院ですが…
1961年(昭和36年)の法然上人750年忌を機に、翌1962年(昭和37年)に知恩院と浄土宗本派は浄土宗に合流し、知恩院が再び浄土宗の総本山になりました!
(めでたしめでたし!)
歴史が長いと、まとめる作業が大変です。
(でも、楽しい!)
読む方も…大変ですが、ご清聴ありがとうございます!(笑)
私も呟いてみてもいいですか?
長い歴史のある、知恩院ですが…調べていくうちに、学生時代に歴史の教科書で見たことがある名詞が多々出て来ます。
特に「応仁の乱」とか「徳川家」とか出てきた辺り…
テンション!上がる~~~!(笑)
あっ!歴史の成績は…中の下でした…(笑)
すみません。こんなことで…口コミしてしまいました。
知恩院の境内マップ
こちらは、知恩院の公式サイトに載っている境内の地図です。
見て下さい…とても見やすくて、綺麗ですね?
このマップを、是非!参考にして下さいね!
出典:知恩院公式サイト
無料シャトルバスもありますよ!
知恩院では、無料シャトルバスを利用することが出来ます!
知恩院三門前から御影堂前まで、無料シャトルバスを運行していいるんですって。
こちらも、是非!利用して下さい。
運行時間 午前9時~午後4時(午後1時~2時を除く)
注意:駅からの利用ではありませんので、お間違えの無いようにしてくださいね!
国宝 三門 について知りたい!
普通、寺院の門に関しては「山門」と書くのが一般的に対し、知恩院では「三門」と書きます。
「空門(くうもん)、無相門(むそうもん)、無願門(むがんもん)」と言う、三つの悟りの境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)をもじって「三門」にしているんです。
深いね~!
建造物 | 三門(さんもん) |
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建立年 | 1621年(元和7年) |
設立者 | 徳川二代将軍徳川秀忠 |
建築様式 | 入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき) 高さ:24m 幅:50m 屋根瓦:約7万枚 現存する国内最大級の木造の門 ※五間三戸の二重門 |
文化財(参考) | 2002年国宝に指定 日本三大三門の一つ ・法隆寺南大門(国宝) ・東福寺三門(国宝) ・知恩院三門(国宝) |
五間三戸の二重門とは…
正面柱間が五本あり、うち中央の三本間が通路になっている事を言います。
二重門とは、二階建ての門で、一階二階共に、軒の屋根がついてるものを言います。
三門の二階部分(楼上)は、仏堂になっていて、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(どちらも重要文化財)が安置されています。
天井や柱、壁などには迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍が極彩色(人目を惹く、鮮やかな色彩)で描かれています。
普段は非公開になっていますが、臨時で三門の楼上および大方丈(時には小方丈も)の建物内が有料で一般公開されることがあります。
興味のある方は、知恩院公式サイトで確認、お問合せを!
口コミポイント!
三門の正面に掲げられてる「華頂山」の額の大きさは…
なんと!畳、二畳分より大きいらしいです!(驚)
三門って、本当に大きいんですね?
いえいえ、大きかったのを、見て来ました!
しかも!額に書いてある「華頂山」は日本の第112代天皇の霊元天皇が書いたものだとか…立て看板に書いてありました。
(写真がなくて、ごめんなさい…汗)
さぁ!
いよいよ、知恩院の境内に行きますよ~!
お賽銭箱ですかね?
………………………って!
おっと!
出ました!
葵の御門…徳川ゆかりの物が随所にありますね~!
男坂と女坂を上ると…
三門の中央を覗くと…立派な階段が見えて来ました。
男坂です!
向かって右側には、女坂もあります。
思いの他、急斜面の男坂に対して、女坂は緩やかな坂を上る感じです。
そうですね、迂回路になってます!
階段を上り切ったところで、合流です。
男坂は見た目より、なかなか急な坂ですので、お気お付け遊ばせ!
足腰に自信のある方は是非挑戦してみては?
あまり…足腰に自信のない方は、迷うことなく女坂を利用して下さい。
(危ないので、口コミしますよ)
折角の参拝が、台無しにならないようにして下さい。
何故、男坂、女坂と呼ばれるようになったのかは、調べてみたのですが…
今回は、分かりませんでした。
分かったら、いつか更新したいものです!(励)
男坂の頂上から見た三門の様子。
ね?
急斜面でしょ?(笑)
女坂(迂回路)から登ってもここに着くことが出来ますから!
無理をせずに、慌てないでください。
この景色は、どちらから上っても見ることが出来ます。
(ここ、大事でからね!口コミしておきます)
国宝 御影堂(本殿)の事を教えて!
男坂を上がりきると、目の前に見えるは…
知恩院の本殿です。
建造物 | 御影堂(みえいどう) |
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建立年 | 1639(寛永16年) |
設立者 | 徳川三代将軍徳川家光 |
建築様式 | 入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき) 間口:約45m 奥行き:約35m 幅:約3m 外観は和洋、内装は禅宗様(唐様) |
文化財(参考) | 2002年に国宝に指定 |
宗祖法然の御影を祀るお堂…から「御影堂」と呼ばれるようになりました。
御影堂大修理…の口コミ。
2012年から8年に及ぶ、大修理が行われています。
2020年には完成予定です。
私が訪れた日には、ほぼ、外観は出来上がっていましたよ!
(2019年11月現在)
あと、もう少しで、完成~!
(今頃、完成してるね)
本殿の中には、宗祖法然の木像が安置されています。
徳川幕府の造営による、近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例でもあり、日本文化に多大な影響を与えてきた浄土宗の本山寺院の建築としての文化史的意義も高いことから、2002年、三門とともに国宝に指定されました。
人が、写ってます。
飛び切り小さい人じゃありません。
平均的な大きさの人です!
御影堂の大きさが、分かります!
三門も、さることながら…御影堂も、大きい!
凄く、大きい!
何で、こんなに大きいの?
ってくらい大きいです。
そして、広い!
何故、こんなに広くしたの?
ってくらい広い!
これが、国宝級の歴史的建造物の凄み…?
鳥肌物で、感動したことを口コミ!(喜)
他の重要文化財の建造物の数々!
三門や御影堂などの国宝を紹介しました。
では、他の重要文化財も見てみましょう!
経蔵(きょうぞう)…
御影堂(本堂)の向かって右側、東側に位置する場所にある
経蔵です。
建造物 | 経蔵(きょうぞう) |
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建立年 | 1621年(元和7年) |
設立者 | 徳川二代将軍徳川秀忠 |
建築様式 | 宝形造本瓦葺き裳階 (ほうぎょうづくりほんかわらぶきもこし) |
文化財(参考) | 重要文化財(内部非公開) |
なんでも…徳川二代将軍秀忠が、知恩院に宋版大蔵経六千巻(重要文化財)を寄贈して、その宋版大蔵経六千巻を安置した輪蔵が備えられているとのことです。
この、輪蔵は回転式になっていて、八面に扉のようなものがついています。
その中に、大事な経典(ここでは、宋版大蔵経六千巻)などが収められていて、この経蔵を回転させると、それだけで経典全巻を読誦したのと同等の御利益が得られると…信じられているんですって!
この瓦屋根!
近くで見ると…立派でしょう?
(気分が上がる↑)
大鐘楼(だいしょうろう)…
京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ京都三大 大鐘の大鐘楼とは…
法然上人御忌大会(4月)と大晦日の除夜の鐘の年2回しか、聞くことが出来ないと言われている大鐘です。
造営年 | 1678年(延宝6年) |
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造営者 | 知恩院第38世玄誉万無上人 |
鋳造年 | 1636年(寛永13年) |
鋳造者 | 知恩院第32世雄誉霊巌上人 |
鐘楼の大きさ | 高さ3.3メートル 直径2.8メートル 重さ約70トン除夜の鐘は親綱1人・子綱16人の17人で撞く。 |
集会堂(しゅうえどう)
集会堂(しゅうえどう)は、法然上人御堂(ほうねんしょうにんみどう)とも呼ばれています。
集会堂 (しゅうえどう) |
法然上人御堂(ほうねんしょうにんみどう) |
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建立年 | 1635年(寛永12年) |
文化財 | 重要文化財 |
平成24年からの本格的、国宝・御影堂の大修理の間は、集会堂の御本尊として祀られ、重要な行事を執り行っていました。
御影堂と渡り廊下で、繋がっています。
方丈(ほうじょう)…
方丈は、大方丈(ほうじょう)と小方丈(こほうじょう)の二つの方丈があります。
洛中随一(京都市内で一番)の名所院とは…
建立年 | 1641年(寛永18年) |
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建築様式 | 檜皮葺き・入母屋造り(書院造り) |
大方丈の襖絵 と、部屋 |
54畳敷きの鶴の間 松の間、梅の間、柳の間、鷺の間、菊の間、竹の 狩野派の襖絵(金碧障壁画) |
小方丈の襖絵 と、庭園等 |
狩野派の襖絵(水墨画) 二十五菩薩の庭 茶室の葵庵 権現堂 |
文化財(参考) | 重要文化財(内部非公開) |
勢至堂(本地堂)…
勢至堂がある場所は、御影堂の東側の経堂の横にある、急な石段を上がった所にあります。
かつて、法然上人が念仏を広めた地、知恩院の発祥の地と言われ、元々はここに御影堂がありました。
内陣厨子内に安置する本尊勢至菩薩坐像(重要文化財)は鎌倉時代の作です。
法然上人の幼少期の名前が「勢至丸」だったことから、勢至堂の名前の由来になったと言われています。
建立年(再建) | 1530年(享禄3年) |
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建築様式 | 七間四面単層入母屋造本瓦葺 |
勢至堂の広さ | 桁行21m、梁行20m |
1530年…室町時代ですよ…………!
しかも、再建?凄すぎ!!
勿論、知恩院の中で、最も古い建造物です!
内陣厨子内に安置されている尊勢至菩薩坐像は2003年に重要文化財に指定されていました。
こちらだって、鎌倉時代ですもんね!
唐門(唐門)…
唐門は、1641年(寛永18年)に建立されました。
牡丹唐草
鯉魚に乗る老人
巻物を持ち鶴に乗る老人
松を散りばめた細かな彫刻…等
これらは、安土桃山時代の流行の故事伝説に由来して、施されていると言われています。
故事伝説について口コミ!
故事伝説とは、噂話のような曖昧な出処不明な話ではなく、場所も登場人物も事実を元に、実在している確かな言い伝えの事を言うようです。
文化財以外の知恩院の建造物を見てみよう!
阿弥陀堂
御影堂の向かって左、西側にある…阿弥陀堂です。
阿弥陀堂は、実は明治時代1910年(明治43年)に再建され建造物なんです。
内部は、2.7mの阿弥陀如来座像が祀られています。
表面の額は「大谷寺」と書かれていて、日本の第105代天皇の後奈良天皇の直々の書です。
宝沸殿
御影堂の前、南側の寄棟造の仏堂…宝彿殿は、1992年(平成4年)に建立されました。
安置されているのは、阿弥陀如来立像と四天王像です。
納骨堂
経堂と宝彿道の間にある、納骨堂です。
小さな池に橋が架かってます。
こちらの納骨堂は昭和5年に建立した建造物です。
堂内には、阿弥陀三尊像・二十五菩薩が安置されていて、地下に、納骨します。
折角なので…知恩院の宣伝(?)の口コミ!
知恩院の本業は、寺院です。
お寺のお仕事もしています!
ご先祖供養・納骨・結婚式のお申込みは、
こちらから↓↓(www)
知恩院公式サイト
www そうですよね?
つい…只々、観光名所だと思っちゃいますよね?
それにしても、綺麗な紅葉でしょう?
池が、少々…残念な色でしたが、それにしても、紅葉の知恩院は美しかった~。
多宝塔
色が圧倒的に少ない知恩院ですが、この多宝塔は、唯一色彩を感じる建造物でした!(少し、ほっこり)
多宝塔と宝塔の違いって?
調べました!………(涙)
文献を調べれば、調べるほど ドツボにハマってしまいました。(汗)
専門用語の、ゲリラ豪雨…
ズームを駆使しないと、読めない文献…
そして、たどり着いた 私的(?)違いの見分け方!
多宝塔…
初層(1階)が四角い建造物、上層(2階)が丸い円柱の建造物、四角い屋根が上に乗っている二重構造の仏搭(かなり立派な塔婆)を言う!
宝塔…
一見、石灯篭みたいな…お墓みたいな…建造物と言うより、石などで出来た、石碑のような小ぶりな感じです。
円柱の塔身の上に、四角い屋根が乗っている単層の塔を言う。
と、まぁ…あんなに調べて、これだけです!(驚)
コンパクトにまとめたと…思ってください。
頑張ったので、口コミしておきます!
文化財だけじゃない、見どころ!
御影堂の手前、多宝塔の前に手水舎(ちょうずしゃ)があります。
因みに、手水舎のすぐ手前、阿弥陀堂横には、御朱印が頂ける朱印所があります。
御朱印についての口コミ情報!
〈特別拝観限定御朱印〉
・阿弥陀如来
期間:令和2年1月20日~令和2年3月18日
※あらかじめ押印・墨書された台紙での授与になります。
〈通常御朱印〉
・浄土宗宗祖「法然上人」
・御詠歌
・智慧の菩薩「勢至菩薩」
一部300円~
お問合せ 拝観係TEL. 075-531-2140(直通)
※つながらない時はこちら↓
TEL. 075-541-5142 FAX. 075-541-0224
御朱印って、今 結構、ブームだから…並んでますよ(笑)
国宝級の神社でも、神社は神社です。
参道脇には、手水舎(ちょうずしゃ・てみずしゃでも可)だって普通にあります。
ここからは、境内を散策してみましょう!
こちらは、経蔵の横にある池の畔の紅葉です。
見事に、紅葉しています!
燃える様な朱色でした。
グラデーション素敵!
手水舎から、御影堂と阿弥陀堂をつなぐ渡り廊下を潜り…進んで行ってみました。
この先の右手側には、集会堂(法然上人御堂)(重要文化財)があります。
集会堂側から見た、御影堂です。どこから見ても、大きいです!
集会堂と御影堂も、廊下でつながっています。
もう少し進むと、武家門が見えて来ます。
武家門の中に、集会堂(法然上人御堂)が、あります。
今回は、こちらは拝観しませんでした…次回のお楽しみですね。(涙)
武家門の壁…今は綺麗に塗装が施されていて、新しく見えますが…、昔からここに、武家門があったのでしょうね…。
途中…十月桜が咲いていました!(喜)
2~3本ですが、十月桜くを発見したんです!
紅葉に桜ですよ!
季節が良かった~!
十月桜の口コミしてもいいですか?
「十月桜」(じゅうがつざくら)読んで字の如く、秋に咲く桜です。
バラ科サクラ属の桜です。
開花時期は、10月から11月頃です。
実はこの桜…「江戸彼岸」と「豆桜」の掛け合わせで、なんと!江戸時代から観賞用として楽しまれていたらしいんです!
その名も「小彼岸桜」!
人工的に交配されているので、自然界では自生しない…と言われているが、伊豆半島に自生の「小彼岸桜」が見つかったとか(?)
長野県伊那市の高遠城址公園には、4月~5月にかけて1,500本もの小彼岸桜が群生で見ることが出来ます!
(門外不出の為、群生はここしか見ることが出来ません!)
因みに、彼岸桜の花言葉は…心の平安ロ
マンチックに、口コミしてみました!(愛)
桜が可愛いから、もう一回!
桜をじっくり観察してから…
更に進むと、知恩院の境内の中の北門が見えて来ます。
そこには緩やかな階段が続いています。
緩やかな階段を、紅葉を見ながらゆっくりと下ります。
ゆっくり進むと、見えてきたのは 黒門です。
ここも、また…素敵な小径ですよね?
まだ、緑が多少残っていましたが…我ながらナイスショット!
見て下さい。なんて可愛いもみじ!
ちゃんと、手入れをされているんですね!とても美しいです!
知恩院の黒門の正面です。
ああ…ぐるっと回ってしまいました。
次はもっと、時間をかけてじっくり見たいものです!
ああ…お寺巡り!奥深し!
おまけの口コミ!
三門から、ぐるっと知恩院を回ってみて来ましたが…
黒門が終点でした。
ここで!知恩院に来た方は、最後にここだけはチェックして欲しいポイントがあります!
お分かりになりますか?
門の真っ直ぐ……………………!
先にあるのが、知恩院古門です!
古門からの眺めも、なかなかの眺めですが…
黒門のこちら側の、雅な世界と…
黒門のあちら側の、日常の街並みのギャップ!
なんとも言えません!
ちょっと、素敵なので…口コミしちゃいました!
知恩院のまとめ!
実は、知恩院にはちょっとした思い入れがありまして…
随分…前の話なんですが、とあるSNSで、誰かの投稿を見たことがあります。
三門の写真でした!
なぜか…とても気になって、厳格で、雅で、厳かで…
一言でいうと、とても感動してしまいました!
もし、京都に行くことがあったら、必ず観よう!
と、心に決めてました!
まさか…こんなに早く肉眼で見ることが出来るとは…
有り難いことです!誰に感謝してらいいのか(喜)
そして、お寺巡り初心者の私でも、分かったことがあります!
まずは、行動あるのみ。百聞は一見に如かず。
自分で足を運び、その目で見てみる!
行ってみて、初めてわかることもあります!
どうやら…ハマってしまいそう(笑)
だって、楽しいもの~ふふふ
さて、知恩院の口コミいかかがでしたか?
参考になって頂けたら幸いです。
知恩院からの中継はここでおしまい!
(この後は、銀閣寺です!あ楽しみに~!)
以上、shinobuリポートでした!
参考資料:ウィキペディア・知恩院公式サイト・お墓の歴史鎌倉~室町時代
webiio・宝塔 多宝塔